ぼちぼち、書こうと思います。
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とうとう…

4月当初の休みの回数は、二年生の時と同じ平均週に2回ぐらいでしたが、ゴールデンウィークのあとは休む回数も増え、夏休み前には、週の半分は休むようになって来ていました。そして、夏休みが明けて暫くも、夏休み前と同様の状態でした。ところが、秋の文化祭が終わると、ほとんど学校に行かなくなってしまいました。そして11月の中旬に一度学校へ行ったきり、とうとう完全な不登校となってしまったのです。

 

母親はもうその頃には、学校に行かないことを口に出して毎朝責めることはありませんでしたが、不満におもっている事は変わらず、何かあれば『学校に行かないくせに』とかの発言は日常茶飯事でした。そして、3年生のクラス替え以来、学校への不信感があるらしく、不登校の事で学校へ相談に行く事を嫌がったため、学校へ相談に行ったりするのは、わたしの役目でした。

 

学校では、担任の先生や学年主任の先生と何回かお話しをしましたが、結局は『本人が登校する気がないまま、無理矢理登校させても、根本的な解決には決してならない。』ため、『本人が登校する意思を持つまで、気長に待つしかない。』という結論でした。実は、中学三年生のこの時期に悠長に構えていられたのは、3年前にエスカレーター式に進学出来る中高一貫校(この学校では進級試験もありません)を選んだからな訳ですが、でももし、公立の中学校に行っていたら、このような不登校を起こさなかったかもしれませんし、また逆に母親が良い高校へゆかせようとして、同様の事態(というか、この場合は高校へ入学することすら出来なかった可能性もあるわけです。)になっていたかもしれません。過去の事を今更いくら言ってもはじまりませんが、その時には、うちの子が通っている学校が中高一貫校である事を、心から感謝しておりました。(つづく)

 

 

 

22:54 不登校 comments(0)
不登校のはじまり

中学三年生のクラス分け発表の日、こどもが暗い顔をして帰ってまいりました。訳を聞くと『◯◯先生が担任だった。』と、中学一年生に時の担任の先生の名前を挙げました。嫁も、『相性が悪いのはわかってるだろうに、なんで担任にしたんだろう。』と訝っておりました。私もそう思いましたが、今更替えて貰える訳もない訳で、しょうがないなあと思っておりました。

 

4月になり、中学三年生となったわけですが、始業式の前日に担任の先生から電話がかかってきました。何事かと思いましたが、実はこの日は入学式の準備などで登校をしなければいけなかったようです。うちの子はその事をすっかり忘れていた訳ですが、電話でかなり怒られたらしく、うちの子はかなり落ち込んでおりました。

 

次の日が始業式で、中学三年生の生活が始まりましたが、出だしの躓きが尾を引いているのか、二年生の時に比べると、明らかに休む回数は増えてきていました。そして、いつの頃からか、私の通勤前にこどもを学校まで送る事が常態化していました。その発端についてですが、おそらく、朝の喧嘩のあと車で送れば間に合うが、徒歩で行ったのでは到底間に合わないというような時間になってしまったことがあり、それがきっかけで送るようになってしまったと記憶しています。

 

というような訳で、中学三年生の春すぎからは、母子の朝のひとしきりの喧嘩の後に、休むか休まないかがわかり、休む時は学校への電話、また登校する時には車で学校まで送るという事が、わたしの日課になってゆきました。(つづく)

 

 

 

 

22:23 不登校 comments(0)
不登校への過程

こどもと嫁の喧嘩は、相変わらず毎朝のようにありました。そして、その中にこどもの『今日は学校へ行かない。』が新しい要素として加わりました。夏休みが終わり、9月になっても同じ状況が続き、中学一年生の出席状況は、平均すると一週間のうち1日は休みというような感じで、わたしには毎朝が胃の痛くなるような日々が続きました。

 

中学2年になってクラス替えがあり、担任の先生も替わりました。この先生のことは、こどももかなり気に入っていたようで、朝の喧嘩は相変わらずでしたが、学校を休むことも目に見えて減り、わたしも少し安心して、もう大丈夫かなとも思っておりました。

 

ところが、6月下旬から担任の先生が産休に入ってしまい、副担任だった先生が担任になりました。この先生はこどもにとって可もなく不可もなくの先生だったようですが、こどもにとっては、最初の担任の先生との関係が良かったため、少なからずショックだったようです。このため、春先よりは休むことも増え、最終的には、一週間平均して2日は休むようになっていました。

 

ただ、中学2年生の一年間を通して見ると、結果としては、1年生の時から少し増えたくらいの欠席日数となっていました。今考えれば、先生との相性で出席日数が増減していただけで、根本的には何も変わっておらず、こどもは常に不登校ギリギリの精神状態だったんじゃないでしょうか。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

23:42 不登校 comments(0)
異変のはじまり

JUGEMテーマ:不登校

ある朝、こどもが突然『今日は学校に行かない。』と言いだしました。多分、夏休み前の6月か7月頃だったと思います。その頃には、朝の子供と嫁の喧嘩は毎朝の恒例行事と化し、様々な些細なことでも言い争いとなっており、その中での一言だったと思います。

 

わたしもびっくりしましたが、その言葉を聞いたときの嫁の慌てふためきようは、かなりのものでした。嫁からすれば、希望通りの進学校に入学させて、これからどんどん勉強をさせようとした矢先のこの発言です。彼女にとってみれば、青天の霹靂といったところだったのではないでしょうか。

 

このようにして、うちの子は小学校入学以来、はじめて学校を休んだわけですが、確かこのときは1日か2日間休んで、学校に行ったと思います。ただ、今思えば、この日の朝、不登校へ向かう何かのスイッチが入ってしまい、我々夫婦には、それを食い止める力がなかったわけです。

 

あとでわかったことですが、学校やクラス内ではいじめにあっていたようなことは一切ありませんでした。ただ、所属している部活動の同学年の中で、孤立していたようです。もともと社交的ではなかったうちの子ですが、部活動の同級生の中では、うちの子だけ徒歩通学で、他の子たちは電車やバス通学のために一緒に帰れなかったり、会話が合わなかったり(うちでは、ほとんどテレビはみません。)というような些細なことの積み重ねが、結果としてそういうことになっていたようです。またこの事もあとでわかったことですが、担任の先生とはウマが合わなかったようです。でも、それらのことが主因ではないと、わたしは今でも思っています。

 

何れにせよ、この時から、今までと違う毎朝の苦労が始まりました。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

19:18 不登校 comments(0)
中学への入学

JUGEMテーマ:不登校

うちの嫁は、小学校の時から『この子は、おっとりした性格だから、高校の受験戦争で良い高校へ行くのは無理。いまうちにエスカレーター式に進学できる中高一貫校へ入れよう。』と申しておりました。

 

その事については、こどももわたしも何の異論はなく、街中にあるミッション系の学校を選び、受験いたしました。こどもも受験には意欲的だったようで、親子面接の際にも、ふだんはおとなしいうちの子が、大きな声でハキハキと受け答えをするのを見て、わたしは、ビックリしてしまいました。

 

中高一貫校というのは、まあ進学校ですよね。ただわたしは、『受験戦争から逃げるために中高一貫校へ入学させた。』と思っていたわけだし、嫁も半分以上はそう言う理由だったと思いますが、でも今思うに、嫁には『いい大学へ行って欲しい』という想いがかなり強かったようです。このため、入学してから、かなりこどもに勉強をしろと言い続けていたようです。

 

前回、学校まで徒歩20分と書きましたが、小学校時代の通学時間は片道5分でした。学校には知り合いもなく、周りの環境が大きく変わり、入学後の精神的な負担はかなり大きかったと思います。その中で、後ろから矢を射掛けられるようなことをされた訳ですから、子供としては、かなり辛かったと思います。わたしは、『入学したばっかりなんだから、そんなに言わなくても』とは言っていましたが、まあお互いそのうちに折り合いをつけるだろうと思っていたのが本心でした。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

23:32 不登校 comments(0)
不登校について書こうと思ったきっかけ

JUGEMテーマ:不登校

中3の秋から高1の春まで、うちの子は半年間、不登校でしたが、今年の春、無事に高校を卒業することが出来ました。なぜ不登校になったのかや、ふたたび学校へ行けるようになったきっかけなど、記憶を頼りに記してゆきたいと思います。

そしてこのことが、似たような境遇のお子さんをお持ちの親御さんの参考になればと思っています。

なお、学校や先生方にご迷惑がかかるといけないので、地方や学校が特定出来ないような形で、書かせていただきますので、どうぞご容赦ください。

まず、環境などのデータから…

 

うちの子が通っていたのは、地方都市の私立中高一貫校です。小学5年生の時から塾に通っていましたが、首都圏と違い、この地方では中学受験する子が多いわけでもなく、また親のひいき目もあるかもしれませんが、普段からまずまずの成績でしたので、無事に入学することが出来ました。通学は徒歩で約20分くらいといったところでしょう。

 

中学校の入学式は、東日本大震災の一ヶ月後、校長先生のお話にも、震災について触れられた部分もありました。そういった環境で、中学校生活は始まりました。

 

うちの子は、小学校の6年間は1日も休んだことがなく、中学校に入学してからも、順調に通学しており、親としても、それが当然のことだと思っておりました。でも、それが当然でなくなる日がやってくるとは…。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

14:32 不登校 comments(0)
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