ぼちぼち、書こうと思います。
よろしければ、おつきあいください。
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クレジットカードのステータスと取得難易度について

JUGEMテーマ:クレジットカード

 

クレジットカードのステータスと取得難易度について、少し考えてみたいと思います。

 

 みなさん、『クレオタ』ってご存知ですか?『クレジットカードおたく』のことです。かくいう私も、そのひとりかもしれませんが…。

 社会人も、40代や50代になると、やっぱり見栄や付き合いで、ゴールドカードなどの少し見栄えのするクレジットカードが欲しくなるものです。そこで、『ステータスのあるクレジットカード』が欲しくなるというわけです。まあ、器の大きい方には、縁のないお話かもしれませんけれども。

 

 では、『ステータスのあるクレジットカード』の『ステータス』って何でしょう。広辞苑によれば、『身分。社会的な地位・階級』とあります。では、世界中に存在する何百、何千というクレジットカードに数値化されて、ステータスを測れるような尺度が存在するのでしょうか。もしかしたら、どこかには存在するのかもしれませんが、私は知りませんし、ほかの多くの方もご存じないようです。だから、世の中(ネットの世の中ですが…)には、各自の尺度でステータスの順位を表現したホームページが溢れているのではないでしょうか。

 その数あるホームページを見てゆくと、『ステータス』をそのカードの『取得難易度』と結び付けて尺度とされている方も数多くおられるようです。確かに、一般カードとゴールドカードとか、銀行系や流通系というような大きなくくりの中ではある程度の相関性はあると思いますが、例えば、銀行系ゴールドカードという一つのグループの括りの中で、取得難易度をステータスを測る尺度とすることは如何かと思っています。

 

 一つの例をあげましょう。同じゴールドカードでも、アメックスのゴールドカード(いわゆる『雨金』)と三井住友ゴールドカード(『蜜墨金』)の二つについて考えます。一般的にネット上では、雨金の方がステータスが高いという意見が多いようです。が、取得難易度についてはどうでしょう。これは逆に、蜜墨金の取得難易度が高いようです。

 取得難易度の高いカードといえば、いわゆる『雨黒』(アメリカンエクスプレスセンチュリオンカード)が有名ですが、我々一般人の手の届く範囲で言うと、やはり『階級』(JCBクラス)ではないでしょうか。 JCB一般カードを手にしてから『階級』に行き着くまで、数年はかかるようです。クレジットカードとしての評判はすごく高いようですし、私は持っていませんが、持っている知り合いに言わせれば、『すごく良いカード』だそうです。でもこれを以って、『階級』のステータスは『雨黒』に迫るほどで、『雨黒』とならんでブラックカードの双璧とも言われている『黒茄子』(ダイナースプレミアムカード:『平茄子』(ダイナースクラブカード)から1~2年で取得できるようです)以上のステータスがあるということにはならないですよね。

 

 少し古いものですが、ここにひとつの資料があります。2011年にニールセン社という市場調査会社から出た資料ですが、国際ブランド別のクレジットカード会員ひとり当たりの年間利用額です。  

 
   国際ブランド    年間利用額
  アメックス    7,710ドル
  ダイナースクラブ    4,417ドル
  VISA    2,638ドル
  MasterCard    2,267ドル
  銀聯    1,638ドル
  JCB    1,359ドル

                  2011年ニールセン社

 

 これを見ると、6大国際ブランドのうち、『国産』JCBの年間利用額は最下位、アメリカンエクスプレスの約1/5です。日本は、経済大国だった筈なのですが…。

 カード一枚当たりの年間利用額は、逆に見ればカードを使われる店舗側にとってのカードブランド別の期待値(このカードを持っている人がどれだけのお金を落としてくれるのか)だと思います。それが、最下位なんですねえ…。でも、数字に嘘はないだろうし…。マラソンに例えれば、先頭集団の第1グループが先頭のアメリカンエクスプレスとそれを追うダイナースクラブ、少し離れて第2グループのVISAとマスター、そして第3グループであるアジア勢がすぐ後を追いかけているという構図なんでしょうか。

 実際にアジア、ハワイなどの日本人観光客が多い地域以外ではJCBの知名度は低く、使えないところもまだまだあるようです。国内で使う分には最強ですけれども…。でも、逆に国内最強だから利用額の平均値が低くなってしまうのかもしれませんね。パン一個買ったり、スーパーで買い物したりするだけの人が多ければ、いくら海外旅行で大金を支払う人がいても、そりゃあ、単価は下がりますよね。それに、海外旅行に行く人は『VISAのブランドがついたカードも持ってった方が良い』って、多くのホームページに載ってますから。

 

 話が少し、それてしまいました。元に戻しましょう。なぜ、上の数値を出したかというと、この数字は先ほど店舗側から見た期待値であると申し上げましたが、この数字こそが、店舗側からみた『身分、地位(社会的地位ではありません)、階級=ステータス』ではないかと思うからです。店舗側から見れば、多くのお金を支払ってもらえる顧客が上客ですから。

 ただ、気を付けたいことのひとつは、上の数値は、6大ブランド別であるということです。数多くの会社で同じようなカードを複数のブランドから出しています。例えばANAカードです。同じランクのカードがJCBからもVISAからもアメリカンエクスプレスからも出ています。そして、そのカード同士においては、ブランドごとの個性は感じても、特にステータスの差は感じない方がほとんどだと思います。

 そして、大事なことはもう一つ、このデータはあくまでも2011年に発表されたものだということです。中国の発展は物凄いもので、もしかしたら、銀聯カードの現在の利用高はこのデータとは比較にならないくらいかもしれませんし、他の会社にしても状況は全く異なっているはずです。このデータをご覧になるかたは、この二点にどうぞご注意ください。

 

 『あくまでも店舗側からみたクレジットカードのステータス』として、クレジットカードのブランド別ステータスを数値化したデータを挙げてみました。先ほども申し上げましたが、これは店舗側からのみの視点であり、特に『社会的地位』は全く無視されているデータだと思ってみていただけると幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

21:20 クレジットカード comments(0)
車幅について

 3年前に購入した、旧型ベンツに乗っています。車種はCクラスワゴン二代目後期型です。その前は、1998年登録の三代目ゴルフワゴンを中古で購入して14年間乗っていましたが、ドアモーターが故障して、もう手に入らないというので、泣く泣く乗り換えました。

 

 この車にした理由はふたつ。一番の理由はベンツに乗ってみたかったということなんですが、実はもうひとつの理由は車幅でした。中古のゴルフヴァリアントを後継にと調べていましたが、なんと車幅が1,785mm。ゴルフワゴンの車幅は1,690mmの5ナンバーサイズでしたので、なんと約10センチも広くなっていたのです。わたしは今まで、5ナンバー以上の車幅の車を乗ったことがなかったので、これはかなりの不安材料となりました。そこで、ドイツ車の同クラスで比較的車幅の狭いものをと探していたところ、この車種に行き着きました。車幅1,730mmですので、その差は40mm、気をつければ、何とかなりそうな差ではないですか。でも、乗り始めて3年経ちますが、まだ現在の車幅感覚をものにすることが出来ません。

 

 気になって調べてみると、日本車もかなり車幅があるものが増えてきているようですね。この車を買う時に、10年は最低乗ろうと購入したので、次に車を買うのは早くても7年後ですが、それまでに今の車の車幅感覚を早く身につけて、次に備えなければと思っています。久しぶりに車を買い替える方、みなさんも、どうぞご注意くださいね。

JUGEMテーマ:車/バイク

20:12 くるま comments(0)
おわりに

JUGEMテーマ:不登校

思い出すまま、うちの子の不登校について、書かせていただきました。不登校になる理由やその過程については、100人の不登校生徒がいれば、100通りの事情があると思います。その中の一つの事例として、お読みいただければと思います。

 

今振り返ると、こうすれば良かった。こうしなければ良かったと思ったことを書いておきます。

/討、子どもについて、自分の意見を押し付けすぎた。

⊃靴靴ご超に慣れる前に、勉強のことを言いすぎた。

親が、もっと子どもの現状を理解するよう、普段から子どもとのコミュニケーションをとるよう努力すべきだった。

 

要するに、我が家の場合には、不登校に至る前のコミュニケーション不足が主な要因であったと思われます。もし、不登校になりかけのお子さんがいらっしゃる場合、どうぞお子さんの言うことに耳を傾けてあげて下さい。そして、お子さんの抱えている問題について、一緒に考えたり、暖かく見守ってあげていただければと思います。そして、もし不登校になったとしても、全てが終わるわけではありません。うちの子のようになんとか復活する子もいれば、前にも書いたように立派に大学へ入学できる子もいます。無理強いして登校させたりせず、学校と連携して自分から登校できるようになるまで、暖かく見守ってあげてください。どうかよろしくお願いいたします。(おわり)

 

 

 

 

 

 

22:55 不登校 comments(0)
卒業まで

高校一年を何とか終えたあと、担任の先生にお礼のお電話を差し上げ、来年もまた担任いただけるとありがたいと申し上げたところ、『一学年下に、不登校気味の子どもがいるので、来年はそちらの担任になると思います。おたくのお子さんはもう大丈夫ですから、どうぞご心配なさらぬ様に。』とのことでした。

 

前にも書いたように担任の先生はベテランの男の先生でしたが、不登校から復帰させる際の、アドバイスや子どもとの間の取り方、また復帰後のフォローなど、細かく気を使って頂いたことが、不登校から復活出来た大きな一つの要因で、この先生に巡り会えたことは、わたしと子どもにとって、素晴らしく幸せなことであったと思っています。

 

高校二年生から三年生にかけては、出席日数はギリギリ、成績は下から数えないと…という状態でしたが、今年の春に無事に卒業をすることができました。うちの子が不登校になってしまった要因の大部分は家庭環境にあったとわたしは今でも思っていますが、嫁と子どもの関係は基本的には相変わらずですが、お互いに大人になってきたようで、今は怒鳴りあうことはなく、付かず離れずの関係になっているようです。

 

あとから知った話しですが、中学から、高校へ上がったあとも不登校が続いていたので、学校の先生方は、うちの子が復活する可能性は低いと思っていた節もあり、うちの子が復帰した時には『奇跡の復活』と言われていたようです。このことからもわかるように、不登校から復帰することは、子どもにとって、大変なパワーが必要なことなのではないでしょうか。先程も書きましたように、我が家の場合の要因は主に家庭の側にあり、学校側の要因は、主ではなかったため(復帰初日のクラスメイトの対応など、子どもにとっては、大変心強かった筈です。)高校中退や留年は避けたいという子どものプライドが不登校から復帰させるためのパワーとなり、再び登校できるようになりました。もし、今不登校のお子さんをお持ちの方がいらっしゃるようなら、ぜひお子さんがそのパワーを持てるような手助けをしていただければと思います。(つづく)

 

 

 

 

21:48 不登校 comments(0)
ギリギリのところで…

わたしはそのまま仕事に向かいましたが、子どものことが心配でしょうがなかったため、夕方、担任の先生に電話をかけました。担任の先生の先生のお話しですと、子どもは保健室へ行って、担任の先生に連絡をしたそうです。そして、休み時間に担任の先生と一緒に教室へ行き、そのまま、最後まで授業を受けることができたとの事でした。休み時間には、友達から授業で解らなかった部分を教えて貰ったり、側で見ているだけでは、昨日まで半年間学校へ来なかったとは思えなかったというお話しでした。そしてその時『今日が山場でした。よく遅刻しても登校してくれたと思います。』と言われました。やはり、不登校から登校するまでには、かなりの精神的な壁があるようです。そして、うちのが何とかその壁を超えられた事を心から嬉しく思いました。

 

不登校が解消したと言っても、6月半ばまでまったく登校していなかったため、進級するためには、大きな2つの壁が残っていました。まず最初の壁は出席日数の問題です。一年間で授業を休める日数の殆どを使い切ってしまっていたため、授業時間の少ない教科では、残り9ヶ月であと2回しか休めないなどという教科もあったのです。

 

そして、もう1つの壁は成績です。前期の1回目の定期試験は、医師の診断書を提出することで0点になることは避けられましたが、試験がなかったことになるわけではなく、次回の定期試験でとった得点の80%が、この試験の得点になるということでした。進級は全部の定期試験の合計点数で判断されるため、次回の試験だけで、どうのこうのというお話しではありませんが、半年以上授業を受けて来なかった身にはかなり厳しい条件と言わざるを得ません。

 

1つ目の壁については、『休む=進級出来ない』という簡単な数式で判断できるため、子どもも必死で学校に通い始めました。そして、うちの子のために担任の先生がわざわざどの教科があと何回休めるかの表を作っていらっしゃり、それを定期的に頂くことができましたので、体調が優れない時でも、休めない教科だけは遅刻してでも出席したりして、何とか規定の出席日数を確保するよう努めておりました。

 

そして、2つ目の壁についてですが、結局のところ、学年末の試験までにすべての教科で及第点を取るということまではできませんでした。しかし、学年末の補講と追認試験(追試)対象になったのは4教科で、担任の先生からは『4月から授業にでている子でも、もっと多い子もいるから。』という、お褒めの言葉(^^;;もいただきました。実のところ、補講だけはもう1教科受けておりました。なぜかというと、授業時間が1教科だけ1時間足りなくなっていたということで、その教科は、試験の成績はOKだったため、補講のみの受講となったようです。いずれにしろ、うちの子はギリギリのところで、高校一年生を終えることができ、本当に安心しました。(つづく)

 

 

 

 

 

 

21:44 不登校 comments(0)
遂に…

保健室への登校を勧められてから、子どもにその事を伝えますと、子どももまんざらではないようでした。また、その時に先生から言われた『一度会ってお話しをしてから、教室へ行ったほうが良いでしょう。』と言うことも話しました。

 

そして、その2〜3日後だったと思います。わたしが休みで家におりますと、昼前に子どもが起きてまいりまして『昼ごはんを食べたら学校に行くので、送ってほしい。』と申しました。担任の先生の空き時間などは伺って子どもにも伝えてありましたので、『先生に会いに行くのか?』と聞くとそうだと言いましたので、昼食後、子どもを学校に送って行きました。校門の前に車を止めて見ておりますと、子どもは躊躇することなく、なんと6ヶ月ぶりに校門を潜って、学校に入って行きました。

 

家に帰ってしばらくすると、子どもから電話で迎えにきて欲しい。というので、迎えに行きますと『先生と会って話しをした。明日から登校して欲しいと言われた。』と申しましたので、『行くと言ったのか?』と聞いたところ、『うん』と申しましたので、わたしは大きな壁を乗り越えつつあることを確信しました。

 

翌朝になり、通勤前に学校へ送ろうとしておりましたところ、子どもがやっぱり休むと言い出しました。わたしは『今日だけは何としてでも行かせないと。』と思い、『でも、先生と約束したんでしょ。約束は守らないとダメだよ。遅刻しても良いから行こう。』と申しますと、『うん』と肯いてくれました。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

04:18 不登校 comments(0)
登校への大きな壁

JUGEMテーマ:不登校

5月の中間試験が始まっても、学校に行く素振りはまったくなく、担任の先生からは『このまま変わりがないようだと、もしかしたら、復活は出来ないかもしれない。ただ、うちの学校を退学しても、不登校生徒を受け入れてくれる学校もあります。私の教えた生徒でそこから有名大学へ入学して、挨拶に来てくれた子もいます。不登校で全てが終わるわけではないです。』というお話も受けました。

 

中間試験のあと、翌日ではなかったと思いますが、ある朝子どもが制服に着替え出しました。わたしが学校行くのかと聞くと『着てみただけ。』と言って直ぐに脱いでしまいました。この時、わたしははじめて高校の制服に袖を通した子どもの姿を見ました。そして、心の中で『こりゃあ、なんとかなるぞ。』と思うと同時に『こちらが焦っちゃいけないぞ。』とも思っておりました。

 

そして、その何日かあとのわたしの休みの日(わたしは仕事の都合で平日休みも結構あります。)にも着替え出しましたので、行くのかと聞くと『学校の前まで連れてって』と申しましたので、学校まで車で行き、しばらく学校の近くに車を止めたあと、そのまま車で帰って来ました。その後も、朝子どもと一緒に学校まで行くという事が何回もありました。制服を着て鞄を持って車に乗っているので、あとは車から降りて校門を潜る事さえ出来れば良いのですが、その一歩を踏み出すことはまだ出来ないようでした。

 

実は、完全不登校になる前、車で学校まで送って行っても、車から降りることが出来ずに、そのまま車で帰ってくるという事が何回もありました。子どもの中で、学校に行きたくない何かが、大きな壁として子どもの前に立ち塞がっているようでした。そして、その事を担任の先生にお話ししたところ、『いきなり朝の教室に来るのはしんどいでしょうから、登校時間が終ってから保健室へいらっしゃい。』とのアドバイスをいただきました。そして、そのアドバイスが大きな一歩を踏み出すきっかけとなりました。(つづく)

 

 

01:23 不登校 comments(0)
少しづつ

うちの子が、再び学校へ行くようになったのは、『留年や退学は嫌だ』という思いだけだったようです。ただ、その思いだけでは半年間全く通学していなかった学校へ行けるようなったとは思っていません。

 

高校一年生になって、担任の先生はベテランの男の先生となりました。この先生は今までも不登校の生徒を何人も復活させたということでした。4月の中旬にはじめてお会いしましたが、その時は『まだ時間はあるので、自発的に登校するまで、しばらくは様子を見ましょう。』とのことでした。ただ、休める日数にも限りがあるということだけは具体的な例を出して教えていただき、それ以降、定期的に子どもの様子を連絡しておりました。

 

子どもはと言いますと、相変わらずずーっと寝ておりますので、段々こちらも心から心配になって来ておりました。ただ不登校になってからも毎朝、わたしは子どもに学校に行くかどうかを聞いていた訳ですが、高校になってからは、『そろそろ行かんと留年するぞ。』と時々言っていましたが、その時の返事が『そのうち行くから。』という返事だったので、それだけがこちらの心の支えでした。しかし、ゴールデンウィークが終わっても学校へゆく素振りはまったくなく、こちらも、困惑しておりました。

 

ある時子どもが、整形外科に行きたいと言い出したので行かせますと、今度はコンタクトレンズを作りたいと申したので、眼科へ連れて行ったりしました。整形外科の時はわかりませんでしたが、眼科の時は、こどもなりに登校する準備を整えているのではないかと密かに期待していました。ただ、相変わらず学校に行こうとする素振りのないまま、前期の中間試験を迎えてしまいました。(つづく)

 

 

 

22:23 不登校 comments(0)
中学の卒業と高校への入学

JUGEMテーマ:不登校

不登校のまま、年を越してお正月を迎え、そのまま春になりました。そして何事もなかったかのように、中学校を卒業することができました。卒業式には、父兄としてわたしが参列しましたが、全員がエスカレーター式に高校へ入学し、高校から入学する生徒はいないため、式自体はあっけないものでした。式のあと、わたしが担任の先生のところへ行き、上履きや溜まった書類などを受け取って家に持ち帰り、うちの子の中学生活は終わりを告げました。3月の終わりには、高校一年生の教科書の配布があり、また高校の制服の引き取りもありましたが、嫁はやってくれないので、全部わたしが引き取りに参りました。

 

さて、高校生活の始まりです。わたしは、担任の先生も変わったことで、4月から学校へ行ってくれることをかなり期待しておりましたが、そうは問屋がおろしませんでした。実は、子どもの気分転換のためもあり、前年の年末に引っ越しをしたこともあって、わたし自身としては、新学期からの登校には、自信を持っていたので、かなりショックだったことは確かです。

 

高等学校は義務教育ではないので、出席日数が足りなければ、留年や退学となってしまいます。うちの子の学校は単位制とかで、授業ごとに欠席できる回数が決まっており、それ以上休んでしまうといくら成績が良くてもダメだということは、前年のうちに聞いてわかっておりました。このため、一学期が始まってからは、うちの子にその事を口を酸っぱくして言っておりましたが、『わかってる』という返事が来るだけでしたので、わたしも困り果ててしまいました。(つづく)

 

 

23:58 不登校 comments(0)
家での生活

不登校になってからの生活について、少し書かせていただきます。前は、読書が好きで、勉強もせずに本ばかり読んでいるこどもでしたが、基本的には一日中寝ておりました。布団に入っているだけでなく、眠っているのです。なにもせずによく寝られるものだと思うくらい、ずーっと眠っておりました。

 

嫁がこどもの弁当を作ることを拒否していたため、毎朝わたしは6:30に起き、こどもが学校へ行くことを願ってこどもの分と自分の分、ふたりぶんのお弁当を作ります。そして、学校に行ける時間にこどもを起こして朝ごはんを食べさせ、学校に行くかどうかの確認をします。休むというので、学校へ欠席の連絡をして仕事に出かけるというのが、毎朝のわたしの日課になりました。まあ、わたしとしては、こどもが学校へいけるようになるための唯一出来ることが毎朝のお弁当づくりというつもりでした。

 

実は嫁がお弁当を作らなくなったのは、完全不登校になるよりも前でした。どういういきさつであったかは忘れましたが、登校するかどうかわからないこどものために、毎日お弁当を作ることが、耐えられなくなってしまったようです。わたしは一番最初にお弁当を作った時になぜか写真を撮っておこうと思い、完成後のお弁当の写真を撮りました。そして、お弁当を作ったら写真を撮るということも、お弁当づくりとともに毎朝の日課となりました。わたしは結局高校二年生の秋までお弁当を作り続けたのですが、さっき数えたら写真の数が383日分あり、我ながらよく作ったものだとびっくりしました。

 

こどもは、毎日昼まで寝ており、わたしが家にいるときは私が昼食の用意をしますが、いないときはわたしの作ったお弁当を家で食べていました。もうお気付きかと思いますが、それは嫁が家にいてもいなくてもです。この頃嫁は、こどものために自発的に何かするということが、ほとんどできなくなっていました。このため、わたしがいないときの晩ご飯は嫁が作ってくれますが、わたしが休みの日の嫁は、三食昼寝付きの生活を送っておりました。(つづく)

 

 

 

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